1995年4月20日、バーリトゥードジャパン1995の決勝戦は中井祐樹vsヒクソン・グレイシーとなりました。

この試合は、非常に独特で静寂な雰囲気で進行していきます。今まで試合とは明らかに違います。


この時、中井祐樹は、一回戦のジェラルド・ゴルドー戦にて片目を負傷し、その状態で2回戦のピットマンにも勝利し、決勝に進出しています。






対するヒクソンは、1戦目で山本宜久に手こずるものの、2戦目の木村戦はほぼノーダメージで決勝戦を迎えます。







●中井祐樹vsヒクソン・グレイシー バーリトゥードジャパン1995決勝戦

ヒクソンは中井からテイクダウンをとりますが、中井も慌てることはありません。この時、中井がフックガードからスイープをかけようとしているように見えますが、ヒクソンの重心が絶妙過ぎて完全につぶされパスガードされます。

ヒクソンがサイドポジションをとってからの、この静寂の間!



●ヒクソンがマウントから珍しいアームロックを見せる

ヒクソンがマウントポジションをとってから、アームロックを仕掛けています。ちょっと珍しい光景のような気がします。この技で極めることは出来なかったのですが、そうこうしているうちに、ヒクソンはバックポジションをとります。


●結果は1Rチョークスリーパーでヒクソン勝利

バックポジションをとってからのヒクソンは絶対な雰囲気です。バックポジションのキープももちろんですが、チョークスリーパーを得意としているので、何か細かいコツがあるのでしょう。 

●この試合の後、中井はブラジリアン柔術の道へ。ヒクソンはPRIDE.1で高田戦。

中井は、この大会で右目失明のため総合格闘技を引退することになるのですが、対戦したヒクソンの柔術テクニックに魅せられ、ブラジリアン柔術に専念することになったとのことで、それも深い話です。 

ちなみに、後のインタビューで、「たとえ目を負傷していなかったとしても、あの時ヒクソンには勝てませんよ。」と語っていたのが、ヒクソンがいかに当時次元が違っていたかを物語っています。

ヒクソン・グレイシーは、後に日本でメガイベントになるPRIDEの舞台で高田延彦と対戦することになります。